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近況報告


近況報告 藤村 佳司 S47年卒業 機械工学

2002年6月末に54歳2日前に早期定年退職をいたしました。勤務中は、1980年頃に病気になり、それがその後ずっと尾を引き、大した仕事もせず、皆様のお世話になり、その年まで、勤務いたしました。仕事中は、1992年に先輩の森さんの部門に移りその後10年間ソフト・ウエアーの製品の企画の仕事に従事し、最後の1年は、本田様のIT部門のアウト・ソースィングの管理の仕事をして、早期退職いたしました。会社での生活は、色々苦しみ、楽しみもありましたが、一瞬の閃光のように、終わってしまった感じです。
現在は、2002年9月にイギリスのケンブリッジに来まして、私はMBAのコースで、学び、妻は、大学付属の英語の学校で英語を勉強いたしました。私は、2004年4月にMBAとなり、妻は、2003年9月より、大学に入学いたしました。現在、私は、イギリス人の中で、英語で仕事をする夢をみています。
こちらでの生活のメリットは、まず、日本とイギリスでの租税条約を利用し、イギリスでの課税を選択すると、日本では、当然、全く税金は、掛かりません。日本で払っているのは、(固定資産税)、生命保険、医療保険、県民共済だけです。イギリスでは、どうかと言うと、日本の住民税に当たるCouncil taxと言うのがありますが、学生とその配偶者は、免除されます。日本の健康保険に当たるNHSという制度が、こちらに有りますが、これも、学生とその配偶者は、無料です。日本での所得(私の場合は、企業年金と不動産の賃貸収入など)は、学生は、いくら日本より、こちらに送金しても無税です。配偶者に関しては、日本より、こちらに送金した分に関してイギリスで課税されます。したがって、上手くやっていけば、全く税金と言う物を支払うことなく生活できます。現在の収入は、働いていた時の1/3以下になっていますが、年間、50万円程度の赤で旅行も含めて暮らしております。
ここケンブリッジは、ロンドンと違い緑の多い箱庭のような、美しい小さな町です。今、アパートに住んでいますが、リス、ミズドリ、たまに、キツネ、ハリネズミ、ロビンに代表されるたくさんの小鳥たちで囲まれ、リゾートで、生活をしているような感じです。ただ、最大の難点は、外食が高くで、とてもまずいという点だと考えます。イギリスの文化は、今の日本よりもさらにハイ・コンテキストなようで、中々、物事をはっきりという人は、少ないです。特に、悪いことは、あまり言いたがらないようです。
イギリスは、開発国の中で唯一金利を切り上げている国で、今のイギリス経済は、不動産バブルという状態です。多くの人が、不動産を当てに借金をしている状態です。今、ここ20年で失業率が一番低いと報道されています。しかしながら、ここでも、年寄りの就職は、きわめて難しいようです。
家の方で、何も問題が無いのであれば、60過ぎまで、英語圏の海外で生活することを考えています。一応、次は、カナダのビクトリア辺りを視野に入れ、また、勉強しようかと考えております。ここは、ケンブリッジよりもさらに、生活費・学費という観点では、生活しやすいようです。最後は、日本に帰ったら、妻の英語の仕事のサポートをしようと考えています。
今でも、よく思い出すのが、最後のリーグ戦での東京医大の柴田選手との試合です。試合が始まってから、となりのコートの中井君が負けてしまい自分たちの勝ちがほぼなくなり、気持ちの面での浮き沈みが最初の2セットは、在りました。
特に覚えているのが、6-4, 2-6, 4-6, 6-4で、ファイナル・セット相手のサーブから始まり、ずうっと、サービス・キープが続いて、3-4から自分のサーブを落とし3-5となり、相手のサーブでカウント30-40のポイントです。3-5になった時、一瞬相手に背を向けて、2年先輩の山田さんが金網のネット越しに、チラット見えて、すがりつきたいような気持ちの中、自分は、ここまで来て負けるのか、もうここは、開き直って、思い切ってフォアを打って行こうと考えたことです。その最後のポイントの時、相手が、バックのスライスで自分のフォア側の隅に、比較的遅い出球を打ってネットについてきました。フォアは、強いけども、ミスの出やすい私にとって、十分追いついて打ち返す時間がある分、物凄く嫌な気持ちでしたが、一瞬気持ちを入れ替え、ここしかフォアを打つ機会は、無いと考え直し、ダウン・ザ・ラインに、そのゲームの中で、最も強いフォアをパスとして打ちました。打った瞬間、ちょっと高い、いや、入っているなどの考えが、一瞬のうちに頭のなかを駆け巡り、次の瞬間、ボールは、相手のラケットをはじいて、ややクロスにふあふあとしたロブのようなゆっくりしたボールが帰ってきました。そして、そのボールは、2-3 cmバック・アウトしました。これで、ゲームを取り、コート・チェンジする時、体が、ブルブル震えたのを覚えています。それから、大軒君に貰ったレモンが、すごく甘かったこと、レモンてこんなに甘い物なのかと感じたこと、そのゲームが、5-5になり、審判が、1st set 6-4東工大、2nd set 6-2東医大、3rd set 6-4東医大、4th set 6-4東工大、Final set 5 games allというコールをした時、体から力が抜け、ずっしり体が重くなるのを初めて感じました。このゲームは、最後9-7で勝つのですが、ゲームをリードし、コート・チェンジする度に、大鹿君から、こっちの都合も無視し、次取れよといわれたのを良く覚えています。日原君が一生懸命応援してくれたこと、大軒くんが、私が相手のセカンド・サーブを受ける時、余りにもコートの内側に入るので、相手が、ダブル・ファーストをたまに打ってきました。その時、藤村、ファーストが来るぞ、下がれと声をかけてくれるのですが、下がったら負けだと、無視し続けたこと、夏に肘を壊し、バックが前のように打てなかったので、バックのストレートのパスの球足は、良かった時と違って、長く、ネットを越えてもボールは、落ちずに行ってしまったけれども、何しろ抜けて、ベース・ライン近くに落ちた時に、その方向に、ボール・ボーイをしてくれていた稲木君が、にこっと、笑みを浮かべてくれたことなどを昨日のことのように良く覚えています。いくつもの負けるパターンを消しながら、これを抜かれたら、負けると自分に言い聞かせ出球を打って、ネットを取り続けた生涯最高の試合でした。その試合をみんなの前で出来たことをとても幸せに思っています。私にとっての人生最高の宝かもしれません。試合中は、いたって冷静で、自分の世界の中にいたつもりでしたが、時々、応援の大歓声が、聞こえてきました。その応援が自分を後押ししてくれたのは、言うまでもありません。
こんな思い出を残してくれるテニスを現役のみなさんは、みなさんの最高の試合ができるように十分精進して、その他大勢(7部)に落ちることなく、年々守り受け継がれてきた東工大テニス部の伝統を守って欲しいと考えます。

最後に、入澤君の代の人たち、えらい、よくやったと言って、私の近況報告を終わりにします。

2004年5月7日 ケンブリッジにて
藤村 佳司


Cambridge大学は、いくつものCollegeから構成されていて、その中の一つのKing's CollegeのChapelの写真です。夏になると、観光客がたくさんくるそうです。 Cambridgeには、たくさんの公園がありますが、その中の一つにある多分Hotelの写真です。 Christmasの頃の隣の家の写真で、こちらの人は、貰ったクリスマス・カードを家の壁、窓など、いたるところに貼り付けます。クリスマスは、日本のクリスマスと力の入れ方が、全く違い、こちらの人、TVなど、9月ころからクリスマス、クリスマスと言って騒いでおります。
同じ長屋に住んでる、KayさんというCambridge大学初の女性の数学のDoctorの家にBoxing Day(12/26)に招かれた時に、出された、手つくりのお菓子です。 私のMBAのClassの飲み会の写真。Classは、30人弱、出身国は、イギリス、デンマーク、ドイツ、ポルトガル、ギリシャ、ロシア、レバノン、マラウィ、インド、中国、メキシコ、マレーシア、スリランカ、モルヂブなど、多彩。一番多いのが中国人。今、ケンブリッジで、一番多い学生も中国からの学生。何しろ、Cambridgeには、色んな国の人がいます。ちなみに、カミサンの友達には、ケニア、オマーン、ベンズエラからの人がいます。 Kayさんの家の中の写真